
はじめに
日本の大手企業がグローバル競争の中で持続的な企業価値を創造するうえで、「人材戦略」、とりわけ経営幹部層(C-suite / CXO)の確保・育成・ガバナンスは、事業戦略を支える重要な基盤であり、最重要経営課題のひとつといえる。しかしながら、この認識が取締役会レベルで共有され、実効的な施策として実装されている日本企業は欧米企業に比べて少ない。加えて、近年の日本企業は、いわゆるアクティビストの台頭に代表される海外投資家からの圧力、業績不振を契機とした経営刷新の波によって、グローバルレベルのコーポレート・ガバナンスの実現に向けた変革に向けて否応なく背中を押される状況に置かれている。また、グローバルにおけるCXOの役割と重要性も、デジタル・AI革命の加速を背景に急速に変容しつつある。
本論考は、日本企業のCXO体制が抱える構造的課題を整理したうえで、グローバル競争環境における持続的企業価値創造を支える幹部人材戦略と、取締役会が取るべきガバナンス上のアクションを提言するものである。
1. グローバル化と経営幹部人材の戦略的重要性
日本の大手企業にとって、グローバル化は企業価値創造の観点から半ば必須の経営課題となっている。その背景には、国内市場の構造的縮小、海外市場の成長、そして競争環境の国際化という三つの不可逆的潮流がある。海外市場への進出は多くの大手企業にとって成長戦略の中核を占めており、そのひとつの手段としてのクロスボーダーM&Aも一般化している。
こうした環境下においてグローバル競争に勝ち抜くためには、事業戦略の「中身」と並んで、「誰がその戦略を実行するか」という問いが決定的な意味を持つ。企業が創出する成果は、経営トップチームの認知・価値観・経験等に大きく左右されることについて、異論はないだろう。
では、日本において、経営幹部層の質と多様性がグローバル競争力を左右するということがどれだけ認識されているだろうか。少なくとも取締役会レベルでは十分に共有されていないのではないか。本論考はこの構造的な認識ギャップを問題の起点として論を進める。
2. 日本企業のCXO体制の現状と構造的課題
日本企業においても2010年代以降、いわゆる「CXO制の導入」という形で経営幹部ポジションの再整理が進められてきた。しかしながら、実態としては、CXOポジションの多くは既存の本部長ポジションの呼称変更にとどまっており、当該ポジションに求められる役割・権限・アカウンタビリティが明確に再定義されていないケースが多いように見受けられる。
前述のとおり、日本企業にとってグローバル競争戦略を実行する経営幹部を獲得することの重要性は顕著に高まっている。そうした経営幹部を確保し、成果を出すためには、その報酬戦略もまたグローバルレベルである必要がある。経験豊富な幹部を外部から招こうとする場合のみならず、内部昇格者の場合でも、継続して能力を発揮してもらうためには、報酬がマーケットと比べて十分な競争力と魅力を有しているかを継続的にベンチマークする必要がある。そして報酬のベンチマークを行う場合には、比較対象とするマーケットデータが自社の対象ポジションとマッチしているかどうかが非常に重要なポイントとなる。この意味からも、ポジションの呼称のみならず、役割・権限・アカウンタビリティといった定義が外部と比較可能なレベルで明確に定義されている必要がある。
また、CXOの評価・報酬設計に対する取締役会の関与が限定的である企業も依然として多いのではないか。経済産業省「コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針」(CGSガイドライン、2022年改訂版)においても、「経営幹部の指名・報酬に関する取締役会の関与強化」が課題として示されている[1]。
欧米の主要企業では、C-suiteは高度な専門性を持つリーダーポジションとして定義され、内部育成と外部市場からの戦略的獲得を組み合わせて充足される。その際、CXOの指名・評価・報酬に関する意思決定は、執行側の人事部門ではなく、取締役会の下に設置された報酬委員会(Compensation Committee)または指名・ガバナンス委員会(Nominating & Governance Committee)が主導する。
日本企業の人材マネジメントの特徴のひとつである新卒一括採用・長期育成モデルは、組織への深い理解と文化的な一体感を持つ人材を育成するという強みを持つ。多くの場合、数年ごとに異動しながら様々な職域・部署を経験し、一定レベルの幹部に到達するまではジェネラリストとして育成されることが多い。一方で、このモデルはグローバルレベルの専門性・経験を持つ幹部候補の確保を構造的に困難にする側面がある。日本経済新聞社が2025年11月に発行した「第2回CHRO100人調査レポート」では、次世代リーダー発掘・育成の課題について、『グローバルレベルでの対応が進んでいない』が最も多い回答となっている[2]。欧米においては、早期に幹部候補を発掘・特定し、専門性を有するスペシャリストとして幹部候補を戦略的に育成するモデルが一般的である。
CXO体制の議論において、ともすれば見落とされるのがトップ層と中間層・現場との間のギャップである。仮に外部からグローバル水準の優秀な幹部を獲得することに成功したとしても、その下に連なる中間管理職や現場組織のスキル・意識・文化がその変革に対応できなければ、組織全体は機能しない。グローバル人材戦略の射程は、C-suiteだけでなく、その戦略を実装する中間層(部長・課長クラス)のグローバルマインドセット醸成、越境経験の機会提供、および評価体系の変革にまで及ばなければならない。大規模なトランスフォーメーションに関する調査では、失敗する主因として、「ミドルマネジメントの関与不足」と「組織文化の変革の遅れ」が上位に挙げられている。CXO刷新という「頭」の改革を、中間層・現場という「体」の変革と連動させてはじめて、グローバル一体経営は実質的な意味を持つ。
M&Aによる海外進出が一般的になりつつある中で、本社CXOの管掌範囲が国内に限定され、海外子会社の経営は現地経営者に全面委任されるケースも少なくない。これは、「グローバル一体経営」を標榜しながら、実態としては本社と海外子会社の間にガバナンス上の断絶が生じていることを意味する。この断絶は、海外子会社における意思決定の遅延、グループとしての戦略的一貫性の欠如、および海外M&Aの価値毀損リスクとして顕在化しやすい。クロスボーダーM&Aの失敗要因でも、「統合後の人材・ガバナンス管理の不備」が頻繁に指摘されるところである。
3. 自社の「現在地」を把握する——CXOガバナンス成熟度モデル
ここまで、日本企業と欧米企業のCXO体制の違いや、日本企業における課題について触れてきた。ただ、一口に日本企業と言っても、そのCXO体制の現状は一様ではない。自社の課題と次なるアクションを特定するためには、自社がどのステージにあるのかを把握し、現状を踏まえた打ち手を考える必要がある。
日本企業におけるCXO体制とそのガバナンスの成熟度を分類すると、以下の四段階のように整理することができる。段階ごとの状況を示しつつ、それぞれのステージに応じた課題と次のアクションを例示する。
日本企業におけるCXO体制の成熟段階
| 呼称 | 特徴 | 典型的な課題 | 次のアクション |
|---|---|---|---|
| 呼称導入期 | CXOの肩書きを設けたが、職務定義・権限・アカウンタビリティは従来の本部長ポジションと実質的に変わらない。CXOの指名・評価・報酬の検討は人事部門が主導し、取締役会の関与は限定的。 | 「何のためにCXOを設けたのか」が社内で明確化・共有されていない。外部からの人材登用は極めて例外的。 | 各CXOポジションの役割・権限・KPIを取締役会または指名・報酬委員会が主導して明文化する。 |
| ガバナンス整備期 | 指名・報酬委員会が形式的に設置されており、CXOの評価・報酬についての取締役会の関与が始まっている。ただし、報酬水準は国内の同輩企業を比較対象とする役位別ベンチマークによって決定されており、グローバルベンチマークとは大きく乖離している。 | 委員会は設置されているが、自社の戦略や独自性を反映した実効的な審議は行われていない。海外子会社のCXO管掌はまだ不完全。 | 指名・報酬委員会のアジェンダにCXOの指名・評価・報酬を明示的に組み込む。ポジション別ベンチマーク調査を実施し、報酬水準の現状を客観的に把握する。 |
| グローバル統合期 | CXOが海外子会社を含む全グローバルを実質的に管掌している。外部人材の登用実績があり、報酬水準は人材獲得競争上の優位性を有している。 | トップ層の変革は進んでいるが、中間管理職層のグローバル対応力・マインドセットの変革が追いついていない「縦断的断絶」が顕在化しやすい。 | グローバル一体経営を担う幹部候補としての中間層の育成プログラムの整備。CXOと中間層の評価体系の整合。 |
| 競争的差別化期 | CXOの質と多様性がグローバル競争の文脈で組織の差別化要因となっている。CTO・CHROが経営戦略の共同責任者として機能し、AI・テクノロジー戦略および組織変革を主導している。人材パイプライン全体が継続的に強化されている。 | グローバル人材市場でのブランド力の維持。後継人材の継続的な育成。 | グローバル人材市場における戦略的ポジショニングの維持。 |
4. テクノロジーの急速な発展がCXO議論に与える影響
従来のCXO議論はCEO・CFO・COOを中心に展開されることが多かった。しかし2020年代半ばにおいて、グローバルの経営環境が大きく変化するなかで、特にCTO(Chief Technology Officer)とCHRO(Chief Human Resources Officer)の戦略的重要性が急速に高まっている。日本企業がこのトレンドを理解し、対応に向けて取り組むことも急務であるため、特に変化の見られるCTOとCHROについてトレンドを整理しておきたい。
CTO:「テクノロジーの番人」から「事業変革の共同責任者」へ
生成AIの急速な普及を背景に、CTOの役割はAI戦略の統括、ビジネスモデルの再設計、デジタル変革の推進へと拡張されつつある。単なるシステム管理者ではなく、テクノロジーを通じて事業戦略を実装するビジネスリーダーとしてのCTOが求められる時代となった。テクノロジーが「ITコスト管理」から「競争優位の源泉」へと位置づけを変えていることを反映し、経営会議や取締役会に参加する全社のテクノロジーを司る役員も急速に増えている。
日本企業においても、DX推進役員の設置は進んでいる。しかし、その多くは情報システム部門の延長として位置づけられており、ビジネスモデル再構築の責任者としての権限・期待値が十分に付与されていないケースが多いのではないか。CTOあるいはChief AI Officerは、「テクノロジーの番人」ではなく「事業変革の共同責任者」として再定義することが求められる。
CHRO:「人事管理の最高位」から「組織知性の設計者」へ
近年のグローバル主要企業においてAIを最初に大規模導入している機能は人事領域であり、生成AIをすでにHR機能に展開している企業の割合は急速に拡大している。CHROは今や、採用・評価・育成の管理者にとどまらず、AIを活用した組織知性(Organizational Intelligence)の設計者として機能することが期待されている。
日本企業においては、CHROが「ヒト・モノ・カネ」の「ヒト」を担う管理職の最高位として位置づけられ、経営戦略の立案・実装への関与が限られているケースが依然として多い。日本経済新聞(2025年10月14日)の報道によれば、TOPIX100構成企業においてCHROなどの人材CXOを設置する企業がすでに4割を超えており、人的資本経営に最高責任者を置く動きが大手企業に着実に広がっていることが確認されている[3]。一方で、上述の日本経済新聞社による「CHRO100人調査レポート」の第1回(2024年11月)においては、「人事戦略を十分に理解していない層」として「社内の他のCXO」が37%に上るという課題が浮き彫りとなっており、経営執行チームの一員として他のCXOと連携しながら戦略の実行を担うことが十分にはできていない可能性が示唆される[4]。今後のCHROには、経営執行チームの一員として「人事戦略」を語り、周囲を巻き込んで経営戦略をともに実行することが期待される。
日本企業において、CHROを設置する企業は増えてきているものの、その多くは「人事管理」の延長線上に置かれており、経営戦略の共同立案者としての実質を備えているかどうかは企業によって大きな差があるのが現実なのではないか。グローバルの潮流を踏まえれば、グローバル一体経営における人材戦略・組織設計・文化変革をCHROの中核ミッションとして再定義し、取締役会への直接的なレポートラインを確立することが日本企業においても求められる。
以上、日本におけるCXO制の課題を、欧米との違いを中心に述べてきた。本稿がまずは自社の現在地を把握する上での一助となれば幸いである。なお後編では、グローバル一体経営を支えるCXO制とその報酬戦略の構築に向けた、より具体的なアクションについてご紹介したい。
国際的な比較において、日本のCEO総報酬は欧米と大きく乖離している。WTWの「日米欧CEO報酬比較2025年調査」によれば、日本企業のCEO報酬は上昇トレンドにあるものの(長期インセンティブは前年比17.8%増)、米国・英国・独・仏と比較してなお大きな格差が残る。こうした格差を乗り越えてグローバル人材獲得競争における報酬競争力を抜本的に強化しようとする企業においては、対象となるポジションごとに職務別・グレード別の報酬データを用いて海外企業との報酬ベンチマークを行う必要がある。
一方、日本企業における役員報酬のベンチマークは、引き続き「役位(ポジション)」を基準とした比較が標準的な実務として定着している。WTWの「2025年経営者報酬データベース」では、プライム上場企業を中心に309社が参加する国内最大規模の報酬データベースとして、役位別・職務別・グレード別の報酬水準データを提供しており、日本企業の多くはこのうち役位別報酬データを自社の報酬水準設定の基準として活用している。いわば、グローバル報酬ベンチマークにおけるグレード別報酬のように、国内報酬ベンチマークにおいては役位別報酬によるベンチマークが実務として浸透している。
グローバル競争に真剣に臨む企業においては、職務やグレードを用いたグローバルピアグループとの比較に対応することが課題となる一方で、国内の報酬ベンチマークにおいては、対象ポジションの職責の大きさを表す役位を基準としたベンチマークが引き続き機能し続けるだろう。
