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自社の現預金は過大なのか

問われるのは水準ではなく、リスクと資本配分に基づく説明可能性

筆者

佐川 裕一
2026年7月6日

「現預金は過大ではないか」―その問いに答えられるか

もし貴社がアクティビストから「過大な現預金は株主還元にまわすべき」と要請された場合、どのように回答されるだろうか。昨今、アクティビストを含む投資家からそのような要請は増えているが、経営として十分な根拠をもって反論できている企業は必ずしも多くないのが実情であろう。加えて、2026年のコーポレートガバナンス・コード改訂案においても、「現預金を含む経営資源配分の妥当性を不断に検証すること」が求められている。こうした環境変化の中で、現預金の水準をめぐる説明に苦慮している企業も少なくないと考えられる。

しかし一方で、この問題を単なる「現預金の削減圧力」と捉えるのは適切ではない。本質的に問われているのは(事業運営に必要な所要運転資金を除く上積みの部分について)「なぜその水準の現預金が必要なのか」を説明できるかという点にある。この考え方は、金融庁・東証がコーポレートガバナンス・コード改訂案と併せて公表した参考資料「成長投資の促進に向けたコーポレートガバナンス・コードの改訂について」において、「会社が保有の必要性・合理性を説明できる限りにおいて、適正な水準の現預金等を保有することも経営資源の配分の一環として考えられる」と記されていることとも整合的である。

日本企業特有の「現預金の蓄積」の合理性と限界

これまで日本企業の多くは、金融危機や自然災害、パンデミックといった将来の突発的な外部環境の変化、すなわち「不確実性」に備え、現預金を厚く保有してきた。また、無借金経営を良しとする価値観も広く浸透しており、内部資本を厚く確保することは、事業の継続性や財務の安定性を担保するうえで合理的な経営判断であるとみなされてきた。

しかし現在では、資本市場からの視線は大きく変化している。有利子負債を含めた資本構成を戦略的に設計し、株主資本にレバレッジを効かせながら成長投資を行うことが期待される。その一方で、現預金も株主資本に支えられている以上、資本コストから無縁ではない。したがって、十分な説明を伴わない過大な現預金の保有は、資本効率の低下や成長投資機会の逸失としてマイナスに評価され得る。このため、従来のような「不確実性に備えて蓄える」という論理だけでなく、資本コストを踏まえた資本配分との関係で、その合理性を説明することが求められている。

そもそも、人は何が起こるか分からない外部環境の変化、すなわち内部統制では回避し得ない「不確実性」に対し、損失も測りし得ないとの理由から多めの現預金で備えようとする傾向がある。「自然災害」はその代表例である。しかし、こうした不確実性も、一定の前提のもとで「定量化」すれば、その予想損失額をふまえ効率的に対処できる「リスク」として捉え直すことが可能となる。

このような環境変化のもとで必要となるのは、現預金水準を「リスクへの備え」と「資本効率」の双方の観点から一体的に捉える発想である。すなわち、「想定される各リスクにつき、顕在化したら最大でどの程度の損失が発生するのか」「それらのリスクのうち、主としてどれに備えているのか」「その備えとして、なぜ内部資本を保有するのか」「その結果として、資本効率とのバランスは合理的か」といった点を統合的に説明できることが求められる。その前提として、不確実性を可能な範囲で定量化し、「リスク」として管理できる状態に置くことが第一歩となる。

この問題意識は、金融庁の「企業のリスクマネジメントの高度化に向けた検討会」でも示されており、リスクマネジメントを企業価値向上に資する経営課題として捉え、資本配分と一体的に運用する視点の重要性が指摘されている。もっとも、現預金水準の妥当性を体系的に説明するための実務的な枠組みは、公的なガイドライン等でも、まだ十分に整理されているとは言い難い。だからこそ、次に述べるようなアプローチが重要となる。

リスクの俯瞰から始める「説明可能性」の確立

マクロな視点から経営陣に対峙する投資家に対し、現預金保有の合理性を説明するためには、まず全社的リスクの俯瞰から出発する必要がある。具体的には、戦略・投資などの「攻め」のリスク、ならびに自然災害・サイバー攻撃等の「守り」のリスクを横断的に整理し、企業価値への影響が大きい重要リスクを特定する。そのうえで、定量化が可能なリスクについては、発生確率や損失規模に基づきインパクトを可視化し、最大損失水準を見積もる。このように、不確実性を可能な限り定量化し、「リスク」として管理可能な状態に置くことで、初めてリスクマネジメントの枠組みでの備えを検討することが可能となる。そして、その備えの手段として、当該損失規模に見合った現預金を保有することでリスクを内部的に「保有」するのか、それとも保険等により外部へ「移転」するのかにつき、資本コストを共通の尺度とし、いずれがより効率的かを比較検討する。

この文脈で重要となるのが、「リスクの保有」と「リスクの移転」の使い分けである。一般に、発生頻度は低いが損失規模の大きいリスクについては、資本コストがかかる現預金で備える(リスクの保有)よりも、保険等を活用してリスクを移転したほうが低コストとなる場合がある。また、リスク移転により創出される余剰資金を、資本コストを上回るリターンが期待できる成長投資に振り向ければ、資本効率の改善、ひいては企業価値拡大につながる。一方で、現預金には「即時性」という重要な特性があるため、すべてのリスクを外部へ「移転」することも現実的ではない。したがって、問われるのは、「どのリスクを内部で保有し、どのリスクを外部に移転するか」という、資本及びコスト効率を勘案したバランスのとれた組合せである。なお、こうした議論の前提として、経営戦略の推進上、自社がどの程度のリスクを受容するのかという「リスクアペタイト」を明確にしておくことの重要性は論を俟たない。

この一連のプロセスを通じ、企業は単なる「不安への備え」ではなく、「合理的な根拠に基づいたリスク対応」として資本配分を設計することが可能となる。また、その結果として、上記の方針に則した現預金残高の妥当性についても論理的に説明できるようになる。なお、欧米の大手企業では、ERM [1]の枠組みの中で、既にこうした運用が定着している事例もみられる。

取締役会に求められる監督

上記のプロセス推進を担うのはCFO・CROを主とする執行サイドである一方、取締役会の役割は、その過程におけるリスクの特定・評価と資本配分、その結果としての現預金保有の説明ロジックといった一連の経営判断が妥当であるかを監督することにある。特に社外取締役には、執行側の説明に合理性が認められる場合、投資家との対話において主体的な役割を果たすことさえも期待される。

また、こうしたリスクと資本配分の統合的な経営判断の実効性を担保する観点からは、経営者報酬の設計においても、単なる結果としての資本効率指標にとどまらず、その前提となる資本配分の意思決定プロセスの質を定性的に評価する視点を組み込むことも重要となる。

おわりに

「現預金はいくら持つべきか」という問いに、単純な正解はない。重要なのは、「どのリスクにどう備え、そのためにどの程度の資本を確保するのか」が、一貫したロジックで説明可能な状態にあることである。その観点では、「資本効率の改善」とは、単なる資産圧縮ではなく、不確実性をリスクとして捉え直し、可視化・コントロールしながら、成長投資に踏み込むための経営基盤を確立することでもある。その実現に向けた、リスクマネジメントと資本配分を統合した意思決定と、それを監督する取締役会の役割は、ステークホルダーから今後も注視されていくであろう。繰り返しとなるが、問われているのは現預金の水準ではなく、その合理性を説明できる経営そのものである。

(本稿は「上場会社役員ガバナンスフォーラム」の【特集】コーナーへの寄稿(2026年6月25日掲載)を一部調整のうえ転載したものです。)


注釈

  1. 「Enterprise Risk Management」の略で、日本語では一般に全社的リスクマネジメントと訳される。企業全体でリスクを把握し、評価し、経営判断や資本配分に反映するための管理手法。 本文へ戻る

執筆者

佐川 裕一 - シニアディレクター

佐川 裕一

シニアディレクター

メガバンクのグローバル部門、大手監査法人・信託銀行でのコンサルティング業務を経て、WTWに入社。取締役会改革、グループガバナンス、経営者報酬のアドバイザリー業務に従事。金融財政事情研究会や地方銀行協会などが主催するセミナーの講師として多数登壇するほか、専門誌等への寄稿実績も豊富。