
はじめに:制度は立派なのに、なぜ現場では手応えがないのか
日本企業を含め、世界中の企業において、パフォーマンスマネジメント(以下、PM:業績管理・評価制度)ほど、理想と現実のギャップに直面している領域は少ないかもしれません。近年、多くの企業、特にグローバル展開をしている大企業では、複数の要素を組み合わせた多層的な評価制度が導入されています。コンピテンシー評価、360度評価、継続的フィードバックなど、制度設計そのものは論理的に整合しており、公平性にも配慮されています。人事のプロフェッショナルが時間をかけて設計した完成度の高い仕組みです。しかし、その制度を実際に運用する現場に目を向けると、聞こえてくるのは必ずしも前向きな声ばかりではありません。
「評価の時期になると、手続きに追われて終わってしまう」
「フィードバック面談は形骸化しがちだ」
「制度は良いが、メンバーの行動が変わった実感はない」
制度は整っているのに、現場では効果が感じられない。こうした乖離は、特定の企業だけの問題ではありません。むしろ、世界中多くの組織で共通して見られる現象だと感じています。このギャップこそが、パフォーマンスマネジメントの難しさだと言えるでしょう。
本稿では、WTWが過去3年間にグローバル企業・大企業を中心に実施したパフォーマンスマネジメントに関する調査(以下、WTW調査)の結果を参照しながら、PMを単なる「パフォーマンスを評価する仕組み」ではなく「成長を促す仕組み」として捉え直す視点についてご紹介します。
PMは重要だが、成功している企業はまだ多くない
PMが組織の成果に大きく影響するという認識は、多くの企業で共有されています。WTW調査でも、およそ半数の組織が「PMを適切に運用できれば生産性は少なくとも10%向上する」と回答しており、PMは依然として投資対効果の高い領域だと考えられます。
一方で、PMの導入によって実際にパフォーマンスが向上したと自信を持って言える企業はそれほど多くありません。WTW調査でも、PMが「従業員の期待に応えられている」と回答した組織は約4割にとどまりました。PMが十分に機能しない要因としては、主に次のような課題が挙げられています。
- 評価の公平性への不安
- 評価と処遇の連動の弱さ
- 意味のある目標設定の不足
- 管理職のフィードバック力の不足
ここで重要なのは、上記の課題がマネージャーの能力に大きく依存している点です。すなわち、PMの成否を左右する要因は制度設計だけではなく、マネージャーによる判断やコミュニケーションの質にもあると言えるでしょう。
PMの目的は「評価」から「成長」へ
ここで、改めてPMの目的を整理しておきたいと思います。従来のPMは、「公平に評価し、報酬を分配する仕組み」として設計されてきました。しかし近年では、「従業員一人ひとりのパフォーマンス水準をどう引き上げるか」という視点へと重心が移りつつあり、評価制度は結果を裁定するための仕組みというより、従業員の成長を支え、パフォーマンスカルチャーを醸成し、組織全体の成果を高めるための行動変容のプロセスとして捉えられるようになってきています。2010年代に広がった“No Rating”の動きは、その象徴的な例です。これは評価そのものをなくすことが目的ではなく、年に一度の評価イベント中心の運用から、日常的な対話や継続的フィードバックを重視する仕組みへと転換する試みでした。WTW調査でも、PMの主な目的として次のような項目が挙げられています(回答割合の高い順)。
- 個人目標と組織戦略の整合
- 組織パフォーマンスの向上
- 継続的なフィードバック
- 報酬差の根拠
報酬の決定は依然として重要ですが、グローバル企業・大企業では相対的な優先度が少しずつ下がってきている傾向が見られます。
マネージャーは「ボス」から「コーチ」へ
「成長重視に寄せると言うが、具体的に何を変えるのか?」という問いは、次の論点として良く挙げられます。
部下との接点ごとの目的やコミュニケーションのポイント等は各社の状況やニーズよって異なりますが、共通して重要なのは、PMにおけるマネージャーの役割が以下のように変化することを意識する点です。
マネージャーの役割の変化
| 観点 | これまで | ここから |
|---|---|---|
| 役割のイメージ | ボス | コーチ |
| 部下との関係性の前提 | 上意下達 | 共に成果をつくる |
| マネージャーの関心 | 主に組織目標の達成。成長は本人主体とし、OJT・Off-JTを通じて支援 | 組織目標の達成と個人・組織の成長の両立。成長支援にマネージャーが主体的に関与 |
| マネージャーの中心行動 | 適切かつ公平な目標設定と達成率の評価 | 左記に加え、個々の能力や状況を見極め、成長やキャリアの方向性を継続的にサポート |
| 評価のスタンス | 過去の結果を判定する | 未来の成果につなげるために活用 |
また、こうした変化は単に部下一人ひとりの成功を促進することにとどまらず、組織全体としてのパフォーマンスカルチャーの醸成や協働の向上を見据えたPMの実施が求められます。
最大のボトルネックはマネージャー
筆者がこれまで支援してきたクライアントにおいても、上述の考え方に類似した形で評価制度の刷新を行っている企業は少なくありません。実際、適切な目標設定や1on1の実施頻度は増加しており、制度面では一定の前進が見られます。
一方で、ボトルネックとなっているのは、質の高いコーチングやフィードバックを実際に行えるマネージャーは、必ずしも多くないという現実があります。
この課題は日本企業に限ったものではありません。グローバル企業を中心に対して実施したWTW調査でも「管理職が効果的なコーチングやフィードバックを実施できている」と回答した割合は約2割と、非常に低い結果となりました。また、PMがうまく機能していない企業ほど、次のような課題を強く感じていることも分かりました。
- 時間が足りない
- 期待以下の評価を伝えるとエンゲージメントが下がるのではないかという不安
- ローパフォーマーへの対応
- 評価の差を説明する難しさ
多くの組織では、PMを年次評価から継続的な対話型プロセスへ移行させようとしていますが、その運用能力が追いついていないのが現実です。
行動を変えるのは制度ではなく「体験」
しかし、制度や基準を精緻に作り込むことで、マネージャーへの負荷を抑えながら部下の成長を実現することは難しいのでしょうか。
この点を考えるには、人が組織の中でどのように行動を決定しているのかという視点から捉える必要があります。従来の評価制度の多くは、「正しいルールを設計すれば人は正しく動く」という前提に立っています。しかし、実際には人の行動は制度そのものではなく、日々の体験によって形作られます。例えば従業員は次のような経験から組織の本当のルールを学びます。
- 挑戦して失敗したとき、上司はどう反応したか
- 目立たないが、地道な努力を続ける同僚はどう評価されているか
- この会社では結局、何が一番重視されているのか
- 誰が自分の評価や報酬の決定に最も大きな影響を与えているか
こうした日々の体験の積み重ねが、組織のパフォーマンスカルチャーを形づくっていきます。制度は、その体験を支えるためのツールにすぎません。制度そのものが行動を変えるのではなく、制度を通じてどのような体験が繰り返されるかが重要なのです。そして、その日々の体験を作り出しているのがリーダーの存在です。どの成果を称賛するのか、どの失敗を許容するのか、どの目標を重視するのかなど、こうした日々の判断を通じて、リーダーは組織の価値観を現場で体現していき、従業員の体験の集合体が伝承していきパフォーマンスカルチャーを形成していきます。制度が挑戦を奨励していても、実際には失敗が厳しく評価されるのであれば、従業員は自然とリスクを避けるようになります。こうした制度と現実が一致していなければ、従業員が信じるのは制度ではなく現実となります。パフォーマンスカルチャーは制度によって宣言されるものではなく、リーダーの行動を通じて日々作られていくものだと言えるでしょう。
AI:PMの運用を支える新しいツール
こうしたマネージャーのコーチングやフィードバックの質を高める取り組みは、人の行動に大きく依存するため、従来は評価者研修(レクチャーや模擬演習)を通じて、評価基準の浸透や評定誤差の抑制を行ってきました。近年では、テクノロジー、特にAIを活用する動きも出てきています。WTW調査によると、2025年末時点でAIを導入している企業は約3割、導入を検討している企業も約3割に上ることが分かりました。また、PMにおいてAI活用が期待されている分野は、主に次の通りです(回答割合の高い順):
- 目標設定
- 育成計画の策定
- 評価レビュー
- 継続的フィードバックとコーチング
特に、コーチングやフィードバックのスキルが十分でないマネージャーの能力を一定水準まで引き上げる点では、AIが有効に働く可能性があります。将来的に、より高度なエージェント型AIがマネージャーの業務をサポートできるようになれば、運用状況は大きく改善すると考えられます。
しかし、AIによって運用のベースラインが引き上げられた環境においては、マネージャーに求められる価値はむしろ一層高まる可能性もあります。複雑な状況での意思決定や、部下への動機づけ、仕事の意味づけなどは、人の判断や関係性、感情を踏まえた対応が不可欠であり、現時点でAIが完全に代替することは難しいと考えられます。今後も、AIの進化とその活用のあり方を注視する必要があります。
最後に
ここまで、PMの課題と背景を整理してきました。最後に、企業が次のステップを踏み出すための視点をまとめます。成果につながるPMを実現するうえで重要なのは、従業員が日々のマネジメントを通じてどのように成長を促されているかです。目標設定、フィードバック、評価などの各接点で何が重視され、どの行動が強化されるか。そして、この積み重ねこそが、組織のパフォーマンスカルチャーを形成します。AIはこうした運用を支える有効な手段となり得ますが、最終的に成長を加速させるのはマネージャーの関わり方です。PMを単なる評価の仕組みではなく、マネージャーを通じて従業員の成長を促す仕組みとして再定義すいることが、成果を生むPMへの第一歩ではないでしょうか。
