Small Steps, Big Impact: 地道な一歩が大きな成果へ
コロナ渦以降、従業員の働き方やキャリアなどに関するバズワード化したテーマが多く登場している。ここ数年は、『Quiet Quitting(静かな退職*(過去の記事だが、こちらについてはこのレポートも参照されたい))』、『Act Your Wage(給料に見合った分だけ働く)』、『コスパ重視』など、「仕事の中でいかに少ない努力で最大の果実を得るか」という発想がごく自然になりつつある。効率を求める働き方自体は合理的な判断であり、終身雇用という概念が薄れている昨今、時代の変化として受け止めることも大事かもしれない。 しかし一方で、『静かな退職』も『コスパ重視』の働き方も会社や組織の存続を前提にしているとも感じることがある。この競争の激しい時代において、予め与えられた役割をこなすだけでは、組織は成長どころか、存続すら危うくなる。コスパを求める時代であるのと同時に、「状況に合わせて自ら考え、行動する」従業員の重要性が増しているともいえる。未来永劫組織や自身の仕事の安定が保証されていない今だからこそ、従業員側は役割に囚われず責任感とオーナーシップを持って組織に貢献するような行動が求められているのではないか。
とはいえ、本レポートでお伝えしたいのは、無制限の労働や自己犠牲を是とする姿勢の重要性ではない。むしろ、社員が自ら考え、組織の目指すゴールに向けた行動が発揮されない要因を、個人の意欲や資質の問題だけでなく、会社や組織側の支援や構造的な問題であることを示し、その解決のための方向性を提示することを意図している。
企業が持続的に成長するためには、予め定義された与えられた役割を果たすだけでなく、変化に対応し、枠を超えた行動を積み重ねることが重要になる。自分やチームの業務を「改善」したり、新しいやり方を「提案」したり、こうした日々の積み重ねが、これまでの当たり前を越え、新たな成果を生み出す。例えば、「誰に求められたわけではないが、会議の議事録を取る」、「新人や異動者に対して、マニュアルにはない実務のコツや部署のルールを教えてあげる」など、このように目立たず、必ずしもその人に割り振られたわけではないけれど、組織全体の力を高める行動は、組織市民行動(Organizational Citizenship behavior)と言われ、これまでの様々な研究から個人や組織のパフォーマンスに相関があるとされている。
あなたの職場でこんな場面はないだろうか?部署の改善活動など、通常業務の範囲ではない活動の際、いつも同じ人がリーダーに立候補している。周囲も立候補を期待してしまう。その人は責任感が強く、リーダーとしての能力を有した優秀な社員であるが、その人がいつか立候補しなくなるかもしれない、究極的にはそんな状況に嫌気がさして最悪退職してしまう可能性だって否定できない。これは例え話であるが、個人の自発的な行動が積み重なることによって、組織は外部環境の変化に適応し、レジリエンス(変化や困難にしなやかに対応していく力)を高めることができる。すなわち、与えられた範囲を超えて行動する人材を多く育てることが、組織の持続的な成長を支える確かな基盤となる。
こうした自発的貢献意欲(エンゲージメント)に基づく行動は、個人の資質だけに依存するものではない。組織や仕事に対する、「思考(Think)」、「感情(Feel)」、「行動(Act)」が会社に対して前向きであること、すなわち個人のエンゲージメントが高まることによって引き出されるものであるが、次章では組織への理解や共感を、どのように「行動」という形で発現できるかという観点から述べていきたい。
一般的に個人エンゲージメント(Engagement)は、「会社や組織に対する自発的な貢献意欲」として定義づけられることが多い。(図1補足:弊社のエンゲージメント調査では、前述の個人のエンゲージメント(Engagement)に加えて、持続可能な成長の観点から、成長を実感できる環境(Enablement)、活力(Energy)の3要素からなるエンゲージメントを『持続可能なエンゲージメント』と称して、調査の結果指標と位置付けている。)
上述した個人のエンゲージメントについて、弊社では「①思考(Think)」、「②感情(Feel)」、「③行動(Act)」の3つの要素で説明されるものと定義づけている。弊社の調査結果をみると、「会社のビジョンや戦略の理解や共感」、「自社で働くことの誇り」といった思考(Think)や感情(Feel)に関する設問と比較すると、「会社のために求められる以上の仕事をしているか」、といった自発的な貢献行動(Act)に関する設問の中間回答の割合が、10%pt.程度多いという結果が出ており、相対的に好意的回答が伸び悩む結果が見られている。
この結果は、従業員の間に貢献意欲そのものが欠けていることを示唆しているわけではない。会社のビジョンや戦略は理解しており、そこへの共感もある、しかしながら「組織の目指す方向性に向けて自分がどう振る舞ってよいか分からない」、あるいは「自発的貢献意欲は高いが、一歩踏み出して行動しようとするとなんだか躊躇してしまう」という状態を示していると捉えるべきだと考える。この背景には、個人の意欲だけでなく、行動を促すような会社・組織の側にも問題がある可能性が高い。そこで、次章では、行動を阻む要因を行動科学のモデルであるCOM-Bモデルを参照しながら整理していきたい。
自発的な貢献意欲が行動として表出されにくい背景を理解するために、行動科学の理論であるCOM-Bモデルを用いて、自発的な貢献意欲に基づく行動が発現しにくい要因を整理する。
そもそも、COM-Bモデルとは、望ましい行動(Behavior)を起すためには、個人がそれを行うための能力(Capability)、機会(Opportunity)、動機(Motivation)が備わっていなければならないという理論である。(図2)従業員が望ましい行動を取らない場合、どこに問題があるか、何を変えることで行動変容を促すことができるかを、このCOM-Bモデルで活用して考えることができる。
これまでのエンゲージメント調査の分析などを踏まえ、自発的貢献行動を阻む要因を(1)能力(Capability)、(2)機会(Opportunity)、(3)動機(Motivation)の三要素から整理する。
(1)能力 Capability: 「自分の行動はなぜ良かったのか、どう改善すべきかが分からない」-能力・スキル開発を促す具体的なフィードバックが十分に行われず、自発的な行動を支える能力の向上につながっていない-
従業員が自発的に行動を起こすためには、自ら課題を発見し、周囲と連携しながら、組織に価値をもたらすような能力やスキルが備わっていることが重要である。こうした能力がなければ、「自発的に行動したい」という意欲はあっても行動に移せず、結果的に動けない状態に陥る。例えば、ある従業員が職場の課題に気づいたとしても、上司や関係者を説得するために、課題を整理する能力や、それを上手く伝えるスキルがないと、自ら提案することを躊躇してしまう。
しかし、現場ではこうした能力やスキルを育てるための重要な育成の場であるフィードバックが十分に機能していないこともあると推察する。そもそも、フィードバックの頻度自体が限られているうえに、「良かった」や「気をつけましょう」など、表面的なコメントで済まされることも多く、具体的な成長の手がかりが与えられていない。弊社が実施する各種サーベイなどでも、「結果を伝えられるのみで育成やキャリアの観点からフィードバックがない」や、評価者研修をご支援した際も、「そもそも自分が上司からフィードバックを受けたことがなかったので、あまり重要性を理解しておらず、やり方もわかっていなかった」といった声を伺うことも多い。このように、能力開発を支援する具体的かつ効果的なフィードバックの不足は、自発的な貢献意欲に基づく行動を促すうえでの大きな壁となっている。
(2)機会 Opportunity:「どこまで動きだしてよいのか」 ―期待は伝わっていても、役割や意義と結びつかず、自発的な行動に至っていない―
昨今クライアントのお話を伺うと、パーパスやミッション・ビジョン・バリューの制定など、目標や行動指針といった期待そのものは社員に明示されているケースが多い。にもかかわらず、行動が起きにくいのは、それらが一人ひとりの業務や役割、仕事の意義と結びつかず、「自分ごと」として腹落ちしていないことにある。例えば、部署の目標が共有されていても、それが自分の業務の中でどう動けば貢献になるかが曖昧なままでは、行動にはつながりにくい。また、裁量の工夫の余地が感じられない場合、期待があっても主体的な一歩が踏み出しづらい。
このように、期待を明示するだけでなく、それを本人が意味づけ、行動に移すための「腹落ち感」の醸成が大事になってくる。そのためにも、期待を明示し、伝達するだけでなく、それを「自分ごと」として考えられるような支援が求められる。
(3)動機 Motivation:この行動は「できて当たり前なの?」 ―承認・称賛文化の不足が一歩踏み出す「やる気」を削ぐ―
努力や工夫に対して「できて当然」と受け止められる職場では、小さな挑戦や前向きな行動が次第に生まれにくくなる。これまでの調査やご支援を踏まえると、成果に直結しなかった努力や、周囲のために自発的に動いた行動に対して、「ありがとう」、「お疲れ様」、「助かったよ」、「素晴らしいね」といった承認や称賛が無い場合、社員は「挑戦するより無難にこなすほうがよい」という意識に傾きやすい。長期的には、自発的な貢献行動そのものが減少し、組織の活力低下を招く可能性が懸念される。
前節で整理した能力(Capability)、機会(Opportunity)、動機(Motivation)の壁を乗り越えるためには、個人任せではなく、自発的貢献意欲に基づく行動を促すような仕組みや風土づくりが重要になると考える。
(1)能力 Capability:自発的な貢献意欲に基づく行動を支える能力・スキル形成の支援
3-2.では、自発的な行動を支える能力やスキル形成が十分に行われておらず、その形成の場としてフィードバックが機能していない点を課題として提示した。本節では、その壁を乗り越えるために、組織として取るべき方向性を整理していきたい。
【フィードバックを「能力形成の対話」へと再定義する】
(2)機会 Opportunity:期待の明確化と伝達に加えて、自発的行動を引き出す機会の意図的な設計
自発的な行動を促すには、求める姿や価値観を明確に伝えることに加え、社員が自ら動きだせる場やきっかけを組織として用意することが不可欠である。本節では、期待の明確化とともに、自発的行動を後押しする支援のあり方について、組織としての方向性を整理していきたい。
【組織としての期待と価値観の伝達】
【期待する行動や貢献のあり方の制度への反映】
【自ら動ける仕掛けの組み込みと支援(ジョブクラフティング的な要素を入れてみる)】
(3)動機 Motivation:「挑戦」と「努力」を称える承認・称賛文化の育成
単なる表彰制度やキャンペーン導入では文化は変わらない。日々の仕事の中で、社員が主体的に組織や周囲に貢献した行動を拾い上げ、認める仕組みが重要になる。具体的には次のような取り組みが考えられる。
【リーダーの発信の強化】
【ロールモデルとしての管理職の振舞い】
【日常的な承認・称賛の仕組みを設計する】
今回の内容は、弊社のエンゲージメントサーベイをご活用いただいているお客様であれば、一度は聞いたことのある話であり、目新しさはないかもしれない。しかしながら、自発的貢献の実践に関する高い中間回答の割合への対応は、アクションの見えにくさもあり、見逃されがちな点である。改めて強調したいのは、自発的な貢献意欲に基づく行動は、個々の社員の資質やモチベーションに依存するものではないという点である。会社や組織が、期待を言語化し、挑戦や工夫を認め、一歩踏み出した行動を称賛するような仕組みと風土を作ることによって、誰しもが自然に力を発揮し、貢献を喜びとできる環境を整えることができる。勿論、この取り組みは一朝一夕では成果が現れないだろう。しかしながら、こうした地道な取り組みこそが、組織のレジリエンスを高め、持続的な成長を支える確かな礎になるはずである。まさに、“Small Steps, Big Impact”である。
紹介した内容は特効薬やウルトラCではないが、従業員に響かせるものにするには少しコツがいる、必要性を感じた読者の方はぜひ我々にお声がけいただきたい。「うちの若手社員が組織のために汗をかくとは思えない」、とあきらめてしまう前に、基本に立ち返るという思いを胸に、目の前の従業員と向き合う一歩を、今、踏み出していただきたい。本レポートが微力ながらその一助になれば幸いである。
素材メーカー、会計系コンサルティングファームを経て現職。人事部門のみならず、事業や間接部門に対する様々なコンサルティング経験を活かし、従業員体験の『測定』・『設計』・『変革』・『伝達』に関する幅広いプロジェクト経験を有する。