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実効的な組織変革につなげるために

執筆者 平本 宏幸 | 2025年5月12日

日本においても「人的資本経営」への関心が高まり、その核心として従業員エンゲージメントが注目されている。しかし、形式的・対外的な説明のための活用が先行している例も少なくない。改めて、従業員エンゲージメントとは何か、人的資本とどう関連し、どうすれば高められるのかを整理してみたい。
Employee Experience
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従業員エンゲージメントとは

従業員エンゲージメントとは、職場や仕事に対して満足しているかどうかではなく、「この会社に貢献したい」「自らの力を発揮したい」といった自発的な貢献意欲のことであり、企業の競争優位性を生み出す不可欠な源泉である。会社の目指す方向を理解し、「この会社だからこそ」の誇りをもって、求められる以上の貢献を果たそうとする。このようなエンゲージメントが高い従業員は、創造性を発揮して主体的に課題解決に取り組み、チームや組織に対してポジティブな影響をもたらす。反対に、エンゲージメントの低い状態では、離職率の上昇やウェルビーイングの欠如、生産性の低下といった深刻な経営課題に直結する。

ここで考えておかなければいけないことは、エンゲージメントは自然発生するものではない、ということである。もちろん、従業員個人が、自分自身の価値観として、生来の勤勉さの発露として、あるいは矜持として、企業の意図とは関係なく仕事そのものに対して高いエンゲージメントを持つという状況はよく観察されるところである。このことは、素晴らしい従業員に恵まれているという意味ではよいことであるといえるが、それはあくまで従業員に依存した偶発的なものといえる。そうした状況から脱し、従業員が「自発的に」「求められる以上の」貢献をしようとする状態を企業が実現しようと考えるのであれば、当然ながら企業側が起点となり従業員に投資をすることが出発点として不可欠である。

人的資本とは、単に人的リソース(=労働力)ではなく、従業員の知識・経験、スキル、チームとして動く意志、創造性、そして貢献意欲を含めた「付加価値を生む力」そのものである。当然ながら、個人としての自己実現を考えたとき、仕事に対する考え方の違い、ライフステージや価値観の変化などにより、すべての人が等しく自身のキャリアへの強い関心を持ち、今の会社で自身の人的資本を高めようと強く思っているとは限らない。そのような揺れ動く多様な従業員を前提としながら、教育研修はもちろんのこと、経営陣による将来のビジョンの発信、リーダーへの信頼、心理的に安全で健康的に働ける職場環境、健全な人間関係、自らの成長の機会、自分の仕事と社会への意義との接続といった、幅広い視点からの投資をしていくことで、多様な従業員が自らの人的資本に投資をして付加価値を生む力を高め、「人的資本の総和」が高い状態をつくっていくことが求められる。

このような投資は、最終的に「従業員の体験(Employee Experience)」として現れる。人事の施策や制度の内容そのものも重要ではあるが、それ以上に、そのような様々な投資は「会社の目指すものに共感できているか」「顧客に価値を提供できていると感じられるか」「自分の意見が聞き入れられ、尊重されていると感じられるか」「自分がフェアに評価され、認知されていると感じられるか」といった主観的な体験として、最終的に従業員に認識される。そして、そのような主観的な体験の積み重ねの結果が、「それならば、この会社でこそ、自発的に貢献しよう」というエンゲージメントにつながっていく[1]。人的資本投資は、それが従業員のポジティブな体験として実感されるときに初めて、エンゲージメントの向上という形でリターンを生むのである。

企業として人的資本に様々に投資をし、そこで従業員がその会社でしか得られないポジティブな体験を得る。その結果として、自らの人的資本を高め、そのスキルや創造性をもって企業に自らの時間や能力を投資し、求められる以上に貢献しようという意欲を持つようになる。それによってますます企業が成長し、更なる投資につながっていく。このような企業と社員との間での新たな好循環を生み出せるかどうかが重要であり、そのためのお互いの約束事としての鍵となる概念が、人的資本への投資と従業員エンゲージメントなのである。

従業員エンゲージメントを高める「新たな関係性」としてのEVP

では、どうすればそのような体験を持続的に提供し、社員のエンゲージメントを組織の中で定着させることができるのか。その鍵となるのが、「EVP(Employee Value Proposition:従業員価値提案)」の再構築である。EVPとは、企業が従業員に対して提供する価値の総体、すなわち「なぜこの会社だからこそ働くのか」という問いに対する企業からの答えである。これまでは、EVPといえば給与や福利厚生、キャリアパスといった目に見える条件面が中心であったが、人的資本経営の時代、また人口減少社会の中で人手不足が大きな課題となっている現状においては、より本質的で、従業員との企業固有の関係性に根ざしたEVPが求められている。

この新たなEVPは、単に従業員に「提供する価値」という一方通行の関係ではなく、企業と社員が互いに価値を創り出し合う「関係性の再定義」として位置づけられる。社員の声を聴き、期待に応える投資をし、個人の成長と企業のミッションとを接続する。企業としてどのような目的・戦略のもとで、従業員にどのような貢献を求めていくのか、そのためにどのような投資をして、それが可能な環境や機会を提供するのか。例えば、創造的なサービスや製品を価値創造の源泉とすべく、オープンで民主的な環境をつくりあげることが重要な場合もあれば、専門性による付加価値を顧客に提供するべくプロフェッショナルとしてのスキル向上やキャリア機会の提供を重視する場合もあり、そのつながり方は企業によって異なる。人的資本投資と従業員エンゲージメントのつながりについてのその会社ならではのストーリーをどう示していくのか。EVPを関係性として捉え直すという視点は、企業側と従業員側が双方で、ともに人的資本の向上と企業価値創造に向けて取り組むための新たな約束をすることに他ならない。そのための企業側の覚悟と、社員との継続的な対話が不可欠な取り組みとなる。

新たな関係性を支えるカルチャーとリーダーシップ

そして、このような関係性を支える基盤こそが、「カルチャー」と「リーダーシップ」である。いかに素晴らしい制度やメッセージを打ち出しても、それが職場で日々体現されなければ、従業員にとって優れた体験として認識されることはない。カルチャーとは、組織の中で暗黙のうちに共有されている価値観や行動様式であり、現場のマネジャーの言動を通じて強く形成・変化していく。EVPとしてウェルビーイングを重視していても、現場のマネジャーがウェルビーイングにつながらないような無理な仕事のアサインメントや働き方を押し通すのであれば、従業員は「会社がウェルビーイングを重視してくれている」と感じるには至らない。会社として心理的安全性をいくら重視していても、マネジャーが日々認知や感謝をせずに厳しい反対意見を感情的に提示するような環境であれば、メンバーが安心して意見や提案をあげることは難しい。

カルチャーは、ともすれば単なる社風の違いという受け止め方をされることもあるが、企業価値に直結する非常に重要な要素であるというのがグローバルでの共通した認識といってもよいであろう。英国FRCの取締役会の実効性についてのガイダンス[2]において、カルチャーは取締役会としてモニタリングすべき重要な要素であり、事業環境や企業の目的、価値観に照らして適切なカルチャーを有しているかどうかが、企業の成功を左右するものとして整理されている。同ガイダンスにおいて、オープン、相互尊重、チャレンジの許容、目的の共有、正直さなどが健全なカルチャーとして提起されている一方、サイロ(縦割り)、傲慢なリーダーシップ、過度な業績へのプレッシャー、チャレンジへのオープンさの欠如、短期志向などが、カルチャーにおける問題の兆候として示されている。個々の企業による違いはあれど、これらが従業員の体験に影響を及ぼすであろうことは想像に難くない。

EVPを従業員にとっての良い体験として継続的に認知してもらうためには、現場においてEVPで約束したことが常に実践される、徹底される状況を作り、望ましいカルチャーをつくりあげていくことが必要となる。そのためには、ワークショップ等を通じた「望ましいカルチャー」のためのマネジャーがとるべき行動原則の理解とスキルの習得のような、カルチャーを支える中核となるマネジャーに直接はたらきかける取り組みが不可欠である。それに加えて、それらをDo’s and Don’tsや、1オン1やフィードバックのガイドライン・プレイブックのようなルール・仕組みとし、日々の現場でのコミュニケーションやミーティング等での振る舞いとして実践させ、定期的なサーベイ等によって状況をモニタリングする活動という、行動変容への仕組み・ルールとしての徹底という側面が合わせて求められる。昨今、エンゲージメント向上において特に重視されている、あるいは課題となることが多い心理的安全性やウェルビーイング、多様性の受容のようなテーマは、全社的なカルチャーとして隅々まで浸透・徹底されているかという側面が特に大きいように観察される。

そして、それが会社としての本気の取り組みであるというメッセージを伝えていくためには、リーダー自身がそのカルチャーを体現していくことが不可欠となる。多くの場合、リーダー自身が育ってきたカルチャーや価値観とは異なる、時代の趨勢を踏まえて刷新されたカルチャーを率先して体現していくことが求められることから、リーダー自身が自分のリーダーシップ・マネジメントのあり方を問い直すことが出発点となることが多い。自らを客観的に理解する機会を得ることによって深く「自分を知る」場を持ち、そこから新たな時代の価値観と関係性の中で、多様なメンバーを受け入れ、活かして組織としての価値を出すためのインクルーシブなリーダーシップを日々実践していく。こうしたリーダー自身の目に見える変化が、従業員やマネジャーを感化してカルチャーを徹底させるとともに、EVPがお題目に終わらず、組織の中で確実に実践されるような生きたものにすることができる。

変化を進めるためのチェンジマネジメント・コミュニケーション

このような変化を組織全体で継続するために不可欠なのが、「変化を進めるためのチェンジマネジメント・コミュニケーション」である。どのようなポジティブな変革であっても、変革には常に不安が伴い、社員の多くは「自分に何が起きるのか」「本当に信じていいのか」といった疑念を抱く。こうした不安に対して、経営層や人事部が丁寧にメッセージを届け、意味を語り、対話を重ねることが、組織の信頼と一体感を支える。単なる情報伝達ではなく、目的を共有し、可能な限りポジティブな感情を喚起させ、ネガティブな反応を招かないような練られたコミュニケーションが、変化に対して社員の気持ちを保ち続けるための鍵となる。

変化を効果的に進めるためのコミュニケーションにおいては、メッセージを定期的に伝えるルーティンと、情報を継続的に更新するプラットフォームが重要となる。あるグローバル企業では、リーダーシップグループや管理職層などの様々なレイヤーに対して、トップマネジメントからメッセージや事業上の重要なアップデイトが定期的に配信されるルーティンを有している。タウンホールや会議体での発信と合わせてこうしたルーティンとしてのメッセージ発信の仕組みを持つことは、変化の中でもリーダーやマネジャーを勇気づけ、支えるための基盤となる。

また、特定のリーダーシップグループやマネジャー層のみがアクセスできる情報プラットフォームを持つことも有用である。経営からの重要なメッセージ・ニュースや、目標設定・評価やフィードバックにおけるプレイブックやコミュニケーションのコツを解説した動画、報酬制度やキャリアの仕組みの解説やその活用方法、採用・オンボーディングにおける留意点やチェックリストなど、リーダー・マネジャーが日々必要とする情報は多岐にわたる。そこにいけばそれらがまとめて確認できるというプラットフォーム[3]を持つことは、多忙でプレッシャーのあるマネジャーやリーダーの日常的なマネジメントを支援し、全社的な統一感をもって取り組みを浸透させるきっかけとなる。

おわりに

従業員エンゲージメントは、仕組みや施策だけでは生まれない。それは、組織と個人との間に育まれる、「この会社だからこそ」の信頼と共感の関係性の上にしか成り立たない。だからこそ、従業員エンゲージメントを高めていくためには、企業は人的資本への「投資」として、制度や施策の整備に加えて、企業と個人との新たな関係性をEVPとして再構築するとともに、それを実現するためのカルチャー、リーダーシップ、コミュニケーションの変革が不可欠となる。それは短期的な成果を求める取り組みではなく、中長期的に組織の持続的成長を支える未来への投資といえる。人的資本経営とは、企業が人的資本への投資をする一方で、従業員は自発的貢献として自らの資本を企業に投資するという、ともに価値を高めるための新たな関係性に基づく経営であり、その中核となるのが従業員エンゲージメントという概念なのである。

脚注

  1. WTWの研究から、優れた従業員体験の提供は、エンゲージメント、リテンション、ウェルビーイング、そして財務業績の向上に明確な違いをもたらすことがわかっている 本文に戻る
  2. FRC Guidance on Board Effectiveness July 2018 本文に戻る
  3. WTWにおいても、従業員コミュニケーションプラットフォームEmbarkを提供している 本文に戻る

執筆者


取締役
Employee Experience(EX)部門
アジアパシフィック成熟市場/日本 リーダー
シニアディレクター

製造業、金融業、サービス業等の幅広い業界に対して、リーダーシップ開発支援(後継者計画、リーダーシップアセスメント)、従業員エンゲージメント、組織変革・グローバル化支援等のテーマにおいて豊富なコンサルティング経験を有する。主な著作:『人材争奪』(日本経済新聞出版社)『攻めのガバナンス 経営者報酬・指名の戦略的改革』(共著:東洋経済新報社)


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