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特集、論稿、出版物 | 人事コンサルティング ニュースレター

従業員エンゲージメントと連動した経営者報酬の実務ポイント(後編)

人的資本経営の実効性を高めるために

執筆者 櫛笥 隆亮 平本 宏幸 | 2023年11月14日

人的資本経営というキーワードが世間に浸透しつつある。企業の取組みの本気度をステークホルダーが測り始めているなか、従業員エンゲージメントはどのような意義を持つのか。経営者のインセンティブ報酬には現状どのように反映されているのか。従業員エンゲージメントサーベイはどのような規範で実施されるべきか。本稿では、前編に続き実務上の留意点について解説する。
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従業員エンゲージメントサーベイの実務上の留意点

経営者評価・報酬に従業員エンゲージメントサーベイの結果を活用するにあたっては、一定の客観性・透明性を担保し、かつ評価対象としての経営にとっての意義を明確にするために、次の7つの要件を考慮することが望まれる。

(1) 調査の妥当性

まず、従業員エンゲージメントサーベイ自体が、企業価値の向上に資する指標を測るという概念で設計されたものであるかどうかが重要となる。

経営者評価の対象として耐え得る、投資家の目線と整合する指標であることを考えると、従業員エンゲージメントサーベイの設計そのものが、企業の目標・目指すものと従業員の意識とが整合していることを測る調査になっているかが、第一義的に重要となる。具体的には、単に従業員が満足しているか否かをはかるような調査ではなく、会社の目指すパーパスや目標に対して、従業員が自発的に貢献しようという意欲を持っているかという、日々の社員の創意工夫と企業価値向上との結びつきを測る調査であることが、企業価値向上をけん引する役割を担う経営者の評価には適している。

さらには、そうした概念で設計された調査結果が、実際の企業価値・業績の向上という結果との相関が確かめられた調査であるかどうかも、調査の妥当性を考えるうえで重要となる。単に概念として妥当であることに加えて、その結果が外的な基準である企業価値・業績と関連していることが検証された調査に基づいていれば、従業員エンゲージメントを向上させることが実際の業績へのポジティブな影響を与え得ることを示唆するものといえる。このような性質を備えた調査を用いることで、従業員エンゲージメントサーベイの結果を企業価値・業績向上への中間的な指標の一つととらえることができるため、経営者評価およびそれを報酬に反映させる指標としての適切性を担保できる。

(2) 適切な設問設計

次に、適切な設問設計がなされているかどうかにも留意すべきである。従業員エンゲージメントサーベイは、単に調査をして結果を測定するのみならず、その結果の背景にある問題点を分析し、改善に結び付ける示唆を得るために活用できることが重要である。従業員エンゲージメントには、経営陣のリーダーシップや理念・目標の共有、生産性、倫理・コンプライアンス、タレントマネジメントなど、さまざまな要素が影響することが知られている。これらの全体像を経営として把握し、エンゲージメントに関連する項目に対して的確に手を打つことができるような設問設計がなされていることは、単なる結果の評価にとどまらず、経営の施策に結び付けるための経営者によるアクションを評価するために不可欠となる。

特に、昨今の人的資本管理に対する投資家の関心を踏まえれば、従業員エンゲージメントサーベイの設問がさまざまな人的資本の施策の検証として活用できるような設計となっていることも、着目すべき点であろう。リーダーに対する信頼や心理的安全性、ウェルビーイングやワークライフバランス、多様性と包摂性、評価・報酬や育成・人材開発などは、従業員の個々人の認識が、人的資本の活用度や施策の理解・浸透度を示すための重要な検証材料となる。人的資本に対する経営層の取組みがますます求められる昨今において、経営者の評価に活用する従業員エンゲージメントサーベイの質問にこうした要素が盛り込まれていることは、サーベイの有効性を高めることにつながるだろう。

(3) 適正なベンチマークデータとの比較可能性

従業員エンゲージメントサーベイの結果を経営者評価、その前提としての企業のマテリアリティに関する長期目標として設定するにあたっては、その水準や結果が適切かどうかを説明する必要性が生じる。そのような観点では、従業員エンゲージメントサーベイが適切なベンチマーク(外部基準値)を有する調査か否かも着目すべき点である。

単純に結果のスコアの絶対値(一般的には好意的な回答の比率を用いる)のみでは、自社のみの結果の経緯や改善度合いは確認できるものの、それが市場と比べて十分な水準かどうかを客観的に分析することは困難である。また、従業員エンゲージメントサーベイの結果は、設問の内容によって異なる(好意的に回答されやすい設問とそうでない設問がある)ことに加えて、国・文化によって大きく異なることが知られており、単純に絶対値の水準のみを参照することは、時にミスリーディングな解釈を生みかねない。

このようなことを避け、自社として目指す水準や目安として比較すべき対象を明らかにするためにも、従業員エンゲージメントサーベイにおいて適正なベンチマークデータとの比較が可能であるかどうかは、特にグローバル企業であるほど、結果を正しく解釈するための前提として重要となる。調査によっては、国別、産業別、高業績企業に絞ったベンチマーク等、グローバルで多様なベンチマークを有している調査もあるため、このようなデータを備えたエンゲージメントサーベイを実施することも一考に値する。

(4) 目標に対する考え方の一貫性

従業員エンゲージメントサーベイを経営者評価に用いる際には、どのように目標を設定・評価するかという、目標と結果の取扱いにも留意が必要となる。

一般的には、ベンチマークを参照しながら長期的な目標を設定し、それに近づいているかをモニタリングしていく形で活用する方法が考えられる。この場合は、目標の水準をどのような根拠に基づいて設定するか、それは社内外のステークホルダーにとって納得性が高いか、経営者の行動変容につながるか、という点が論点となる。また、極端にゴールの水準だけを意識させることで実態の改善よりも結果の数値の高低に目が向きすぎるような使い方は避けなければいけない。そのため、対外的に示している目標やその狙いが、経営陣を中心として社内でどの程度正しく理解・認識されているかも重要となる。

他方で、一定の目安を置きながらも、継続的に改善することに重きを置く考え方もある。目標水準を目指すのではなくて過去からの改善度に着目する、少なくとも一定の水準を超えていることを目安として維持・改善する、といった方法論になる。この場合には、目標の達成度ではなく経年での改善度合いや大幅な乖離・低下の有無を中心に評価していくことになり、どちらかというとスコアを上げることよりも、着実に適正な水準を保つ、そのために課題に手を打ち改善する、という毎期のプロセスに重きをおいた見方が主となる。そのため、対外的な開示においては必ずしも華々しい見せ方にはならない可能性があり、その意図するところを正しく伝えることが求められる。

いずれの方式にも一長一短があり、どちらが正しいというわけでもない。これはあくまでどのような考え方に則って従業員エンゲージメントサーベイを実施し、経営のツールとして活用しているか、という思想の違いによるものである。そのような思想に対する社内外の一貫した共通認識を醸成し、自社としての立ち位置をはっきりとさせることが、経営者評価・報酬にまで反映させる指標として活用するためには重要となる。

(5) 参加率と継続性

従業員エンゲージメントサーベイを経営者評価・報酬に反映させるにあたっては、サーベイ自体が十分に各社において浸透しているかどうかも留意されたい。

従業員エンゲージメントサーベイ自体を開始して間もない場合や、サーベイの内容を大きく刷新した場合には、結果についての見通しを立てることが困難なことが多く、当初の期待から大きく乖離した結果や、経営陣にとって受け入れがたい結果となることも珍しくない。

あるいは、こうしたサーベイが組織に定着していない場合には、従業員のサーベイへの参加率自体が低くなることがある。結果として、従業員の全体の認識を把握しきれていなかったり、率直な声を上げるだけの社員からの信頼が得られていない、あるいは関心が低いおそれもある。

このような未成熟な状態で結果を評価に反映することは、経営者の納得性を欠くばかりか、結果の解釈が困難となり適正な改善行動につながらないといった悪影響を及ぼすことも考えられる。こうした事態を避けるためにも、特に経営者評価に反映させることを想定した場合には、サーベイ自体が各社において十分に浸透していること、従業員の十分な参加率が担保されていること、継続した実施を通じて一定の安定性が確認できていることが、前提として整っていることが望ましい。

(6) 第三者による客観性と経営へのフィードバック

従業員エンゲージメントサーベイを経営者評価に用いる場合、そのサーベイ自体が客観性を担保した状態でなされたか否かも論点となる。

あくまで社内的な定点観測の目的で実施するのみであれば、自社による設計・実施であっても特段問題はなく、むしろ自社ならではの考え方や運用によって柔軟に対応できるメリットも大きい。しかし、対外的な説明責任を有する経営者評価への活用が視野に入る場合には、恣意性がない調査結果であることはもちろんのこと、従業員の回答にあたっての心理的安全性が保持され、できる限り率直な回答が得られていることが、重要なステークホルダーである従業員の正確な認識を把握するうえで重要となる。このような、客観的かつ十分に秘匿性が保たれた調査とするためには、エンゲージメントサーベイ自体が、信頼性ある十分な体制を有した第三者のもとで実施されることが望まれる。

また、客観性のある調査がなされたうえで、その結果が経営に対して率直かつ適切にフィードバックされることも重要となる。特に社内のみで実施する場合には、経営側が受け入れがたい結果が出た場合、客観的な視点から要因を分析して問題提起・提言をし、適切に経営陣や報酬委員会にフィードバックすることが困難な場合がある。そうした背景からも、調査が客観性を有した第三者の関与を通じてなされていることが、規律ある評価・報酬の前提条件として重要となる。

(7) サーベイを活用したPDCAサイクルの定着

最後に、従業員エンゲージメントサーベイの結果を評価することにとどまらず、エンゲージメントに影響を与えている要因が何かを分析して課題を抽出し、継続的に改善を進めていくサイクルを保持していることが、経営者の評価に用いる際の前提として重要となる。

従業員エンゲージメントが企業の目標や経営者評価の指標として用いられる場合には、時として結果の高低にのみ関心が集まりすぎて、短期にスコアをあげようとする打ち手を模索したりするなど望ましくない結果につながることも懸念される。このような近視眼的な対応ではなく、長期的な視点から従業員エンゲージメントの向上につながる行動を誘引するためには、サーベイ結果を活用した全社的なPDCAサイクルを定着させていくことが有効となる。

具体的には、サーベイ結果の高低から反応的に対応するのではなく、結果に影響を及ぼす要素を統計的な解析等を交えながら丁寧に深掘り・分析し、課題仮説を設定したうえで、経営層、部門責任者、現場のリーダーがそれぞれの管掌範囲において関係者を巻き込みながら適切な打ち手を講じ、再度サーベイを通じて結果を検証したうえで次の課題を発掘する、という一連の取組みを組織として進めていくことが望まれる。

このようなPDCAサイクルが定着し、サーベイを単なる結果評価の指標としてだけではなく課題発掘と改善のためのツールとして活用する素地が整って、はじめて、結果に至る過程を含めた経営者の成果を適正に評価・判断することにつながる。

おわりに

従業員エンゲージメントを経営者の評価・報酬に活用する実務は徐々に広まりつつあるものの、前述のような要件を満たした形で、ステークホルダーに対する説明責任を果たし得る、十分に規律ある活用をすることは、今後の日本企業にとっての発展的な課題であるといえよう。

世間的な注目に合わせて表面的に従業員エンゲージメントという概念を取り入れ、十分な実効性やアカウンタビリティを持たないままに形式的に経営者の評価・報酬や開示に反映させるケースも散見される。非財務的な指標であるとはいえ、経営にとって重要な指標となっている従業員エンゲージメントを経営者の評価・報酬に効果的に組み込むことは、ESG経営を着実に推進し、ステークホルダーからの信認を得るための試金石となるだろう。


*本記事は「旬刊経理情報(2023年8月10日号(No.1685))」(株式会社中央経済社)への寄稿より抜粋したものです。

執筆者

WTW 経営者報酬・ボードアドバイザリー 
プラクティスリーダー シニアディレクター 

上場企業の報酬委員会にアドバイザーとして陪席、審議の進行や意思決定を継続的に支援。その他、指名・後継者計画、取締役会評価など、コーポレート・ガバナンス体制全般の整備運用についても包括的に支援。
主な著書として『経営者報酬の実務』(編著、中央経済社、2018年)等。
公認会計士。CMA。


シニアディレクター
Employee Experience(EX) 統括

入社以来、人・組織に関する課題解決を通じた変革支援のコンサルティングに一貫して従事している。人・組織に関するソフトな課題を主として扱う部門を統括。近年は特に、経営者の後継者計画、指名委員会運用支援、リーダー開発・エグゼクティブアセスメント、タレントマネジメントの戦略構築・実行支援において豊富なコンサルティング経験を有する。


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