
政治リスクの「自国回帰」――調査が示す構造転換
WTWは、政治リスク分析の老舗オックスフォード・アナリティカと共同で実施した、第9回年次ポリティカルリスクサーベイ2026調査結果を発表した。世界57社の多国籍企業と15名のパネル参加者を対象とした本調査の最大の発見は、政治リスクの所在が二重の意味で「自国(Home)」へ構造転換したことである。
第一は「本国政府」というリスク源の顕在化である。回答企業の39%が、本国政府の外交政策によって海外事業リスクが「大きく」または「非常に大きく」上昇していると回答した。中程度を含めれば、約8割の企業が、本国政府の政策が海外リスクを押し上げていると認識している。本来「守り手」であるはずの本国政府が、リスク源そのものに変質しつつある。
第二は損失発生国の地理的な変化である。2026年の政治リスク損失発生国の首位は、初めて米国となった。中国、ロシア、ウクライナ、インドが続く。6年前の2020年にはイラン、ベネズエラ、ジンバブエ、アンゴラ、リビアといった「典型的高リスク国」が並んでいた。今や、世界最大級の主要市場こそが、最大の損失源となっている。
損失の経常化と大型化
政治リスク損失を経験した企業の比率は75%に達した。これは2023年のウクライナ侵攻直後の92%という特異点を除けば、過去最高水準である。2020年の35%から6年で倍増しており、政治リスクは「稀に起きるテールリスク」から「日常的な経常リスク」へと性質を変えた。
規模の面でも変化が顕著である。2.5億ドル超の大型損失は、2024年の6%から2026年の9%へと3年連続で上昇した。損失分布も、従来の「U字型」(小規模多数+稀に巨大)から、中規模損失を含む「正規分布」へと変化している。サプライチェーン妨害(49%)と地政学起因の顧客債務不履行(20%)が、新たな主要損失類型として浮上した。
関税が「最も管理困難」なリスクに
「管理が最も困難なトレンド」として、回答者の61%が関税障壁の上昇を挙げた。国際武力紛争(28%)を33ポイントも上回る、突出した1位である。関税は「迂回が困難」「政策変更の速度が速い」「予測不可能性が高い」という3つの特性により、武力紛争以上に企業を悩ませている。
財務影響を見ると、関税はネット利益とネット損失の比が約1対9と、最も非対称な「誰も得しない損失」である。グレーゾーン攻撃では、インフラ攻撃(65%)が初めて首位に立った。海底ケーブル切断、パイプライン破壊、倉庫放火など、企業資産が直接の標的となる事例が増えている。
84%が東西構造分離を検討
調査で最も衝撃的なデータは、東西構造分離への取り組み状況である。「東側」と「西側」の事業を構造的に独立させる将来に向け、実施済みが16%、進行中が23%、検討中が45%。合わせて84%の企業が、何らかの形で準備または検討している。
これは意見ではなく行動である。数年前まではコンサルタントの理論シナリオに過ぎなかった東西分離が、今や世界の大手企業の8割以上にとって、取締役会で議論される現実の経営テーマとなった。リスク移転(保険)が事業の形を変えずにリスクを移す手段であるのに対し、東西分離は事業の形そのものを作り変える試みである。政治リスクへの対応は、財務的ヘッジから経営構造の再設計へとステージが上がった。
日本企業への示唆
調査は日本企業に3つの構造変化への対応を迫っている。
第一に、本国政府要因リスクのERMへの正式な組み込みである。本国政府の政策が海外事業リスクに直結する以上、政府発言・政策変更の継続モニタリング、本国ブランドと海外市場の切り分け、ボイコット発生時の危機管理プロトコル整備が求められる。
第二に、主要市場こそが最大の地政学エクスポージャー源であるという認識転換である。米国・中国・ロシア・ウクライナ・インドという損失上位国は、日本企業の主要海外市場と完全に重なる。「ハイリスク国を避ければ安全」というロジックは崩壊した。
第三に、複数リスクの同時発生・連鎖を前提としたシナリオプランニングである。本調査では単一の突出リスクは存在せず、10のリスクが広く言及されている。日本企業のリスク管理は単一シナリオ(例:台湾有事)に偏重しがちだが、台湾有事は半導体供給と海上輸送を直撃し、同時に外交対応力を低下させるという連鎖を持つ。複合的なリスク管理体制への移行が不可欠である。
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