改革の方向性を見据えた大手邦銀のあるべき対応と報酬体系
英金融当局の健全性監督機構(PRA)と金融行動監視機構(FCA)は、いわゆる「ボーナス・キャップ」を2023年10月に撤廃した。ボーナス・キャップとは、一定規模以上の監督対象の銀行等に課す、経営陣やトップバンカー、トレーダー等に対する変動報酬比率(賞与・株式報酬等を合算した変動報酬の固定報酬に対する割合)の上限規制である。
その後、多くの英国の銀行等が規制撤廃を受け、これまで抑制してきた変動報酬枠を大幅に拡充するとともに、米国の銀行等でも英国拠点のトップバンカー・トレーダー等の報酬水準・構成を同様に見直す動きが見られる。この報酬改革の傾向は今後も、英国にとどまらずグローバル規模で波及していくことが予想される。
そこで本稿では、英国における金融危機をきっかけとする報酬規制導入の経緯やその後の規制緩和を受けた銀行等の対応[1]を振り返り、今後の見通しを考察したい。その際に、大手邦銀がグローバル報酬体系を検討する上で参考になる論点も整理したい。
このボーナス・キャップは、欧州銀行監督機構(EBA=European Banking Authority)がEU域内国で法制化を求める「資本要求指令Ⅳ」(CRDⅣ)を踏まえ、当時EU加盟国だった英金融当局が14年に導入した報酬規制の一つだ。こうした報酬規制はいずれも08年の金融危機(リーマンショック)の原因とされた(銀行等による)「過度なリスクテイク」を抑制するために導入されたものである(図表1)
このボーナス・キャップは、導入直後こそ銀行員の高給に対する政府や世論の批判や怒りを鎮める効果を発揮した。一方で、各銀行等が固定報酬を高く設定することで、変動報酬枠を少しでも多く確保しようとする動きも相次いだ。それ故、ボーナス・キャップに対する課題として、銀行側のみならず政府・当局からも次の点が示唆された。
一つ目は、報酬設計が硬直化し、リスクや景況の変化を踏まえた柔軟な水準調整すらできていないことだ。結果として、固定コストの上昇による損失吸収力の低下を招き、銀行等の財務の健全性を損ねてしまう。
二つ目は、業績達成へのインセンティブを弱め、これに嫌気がさした人材が規制対象外の銀行へ流出するなど、業績と人材獲得の両面で英銀等の競争力を弱めていることだ。これは、この報酬規制が英国に本社を置く銀行等には海外全拠点に適用される一方で、米国など規制対象外の国に本社を置く銀行等には英国拠点のみに適用されるなど、適用範囲に違いが生じていることに起因する。ちなみに、EBAの規制も同様に、EU域外に本社を置く銀行等にはEU域内拠点のみに適用される。
その後、英国が20年にEUから離脱(Brexit)してEBAの規制への準拠義務も解消したため、英金融当局は前述の問題意識を踏まえ、自国の銀行等の競争力を向上させて金融市場を守るための規制緩和を検討してきた。その結果、23年10月には、監督対象の銀行等に対するボーナス・キャップ規制の撤廃が決定された。
これらを受けて英銀等は、24年4~5月の株主総会にて変動報酬比率拡充の方向性について株主のコンセンサスを得た上で、翌年同期の株主総会で経営者報酬の具体的な改定案を巡って決議する動きが相次いだ。対象となる「重要なリスクテイカー」の属性に応じ、次のようなかたちで報酬体系が見直された。
24年の株主総会を経て多くの英銀等で、従来は固定報酬の2倍までに制限されていた変動報酬の割合を大幅に拡充する動きが見られた。例えば、バークレイズやHSBCは変動報酬の上限を固定報酬の10倍へ、そしてロイズ・バンキング・グループは同8倍へと引き上げている。
これに追随して米銀等でも、英国拠点のトップバンカーやトレーダー等の報酬体系について同様の見直しを行っている。例えば、JPモルガン・チェースは変動報酬の上限を固定報酬の10倍に変更し、ゴールドマン・サックスは固定報酬を減額する代わりに変動報酬の上限をその25倍まで引き上げた。ちなみに、EU加盟各国の銀行等は、いまだにEBAによるボーナス・キャップ規制下にあり、緩和要請の声は多く上がっているものの、同様の動きは見られない。
一方で課題は、多くの銀行等で(前述のゴールドマン・サックスのような例はあるものの)従業員の報酬制度の改定に当たり、変動報酬比率の見直しと固定報酬の減額調整を同時に進めづらいことだ。その理由として、次の点が考えられる。
まずは、固定報酬減額が従業員のモチベーションに及ぼす影響に加え、変動報酬の繰り延べ規制(図表1の内容②)の存在が挙げられる。つまり、変動報酬の40%以上の繰り延べ条件を順守したまま固定報酬の金額を削減すると、「重要なリスクテイカー」でない従業員と比べて報酬の構成や支給時期のアンバランスが顕著となり、公平性を損なうことが懸念される。会社側からの雇用契約変更を巡る法的問題や、複雑な株式事務等も固定報酬の減額調整が進まない要因とされている。規制見直し等も含めた今後の対応が注視される。
主要な英銀等は、経営者報酬の改定を25年4~5月の株主総会に付議し、決議を取り付けた。その内容は各社で異なるが、CEO・CFOの報酬改定については、おおむね次の共通点がみられる(図表2)。
いずれのケースでも、これまで過剰に高い水準に設定されてきた固定報酬を減額調整し、それに対する業績連動報酬の割合を拡充するアプローチをとっている。これにより、株主等の納得感を醸成しつつ、総報酬ベースでインセンティブの向上を図ることを目指していると考えられる。
英金融当局によるボーナス・キャップ規制撤廃を受けて、英銀等は、経営陣や主要なトップバンカー等(重要なリスクテイカー)の報酬をグローバル全体で市場が求める水準に適合できるようになった。これをきっかけに、業績目標達成へのインセンティブと人材獲得の両面で競争力の向上に資する報酬改革の流れが、英国だけでなく、グローバル規模で波及していくと想定される。従って、大手邦銀は一連の報酬改革の結果が反映された最新データベースに基づくベンチマーキングを通じ、自社の英国拠点だけでなく、海外主要拠点における報酬体系や水準、構成の競合他社対比での位置付けをあらためて確認する必要がある。
英金融当局は23年のボーナス・キャップ規制撤廃に続き、変動報酬の繰り延べ規制(図表1の内容②)や「重要なリスクテイカー」の判定基準の緩和なども検討しているさなかにある。EU(EBA)では現時点で、ボーナス・キャップ規制撤廃等への具体的な動きは見られないものの、域内各国からの強い要請を受け、将来的には緩和へ転じる可能性もある。
こうした規制緩和が実現すれば、英国のみならず欧州全域の銀行等による報酬改革が一気に進み、その影響も計り知れないほど大きなものとなる。そのシナリオも念頭に置きつつ、英国や欧州を中心とした規制当局の動向およびそれに伴う銀行等による報酬改革のトレンドについて、継続的にモニタリングしていくことが期待される。
ここで大手邦銀の経営者等の報酬体系をあらためて振り返る。まず、米英銀等との格差はいまだに大きいことが示唆される。さらに、グローバルに事業展開している日本の事業法人と比べても、総報酬額の水準や変動報酬比率が抑えられていることがうかがえる。
実際、当社(WTW)の「日米欧CEO報酬比較(2024年調査結果)[2]」によれば、時価総額上位100社のうち売上高等1兆円以上の企業(82社)の中で、直近決算期の1年間にCEOに対して支給された固定報酬と変動報酬の合計額(総報酬額)は、上位25%に位置付けられる企業で約4億1000万円、その変動報酬比率(支給された賞与・株式報酬の固定報酬に対する割合)は約3倍にも達する。その一方で、メガバンクグループのCEO総報酬額(同)は約1億5000万~3億4000万円で、変動報酬比率(同)は約1.0~2.8倍の範囲内に収まる(以上、24年3月期の有価証券報告書から引用・概算)。
その背景となる銀行特有の事情としては、かつて金融庁が08年の金融危機後に、金融安定化理事会(FSB)の指針を踏まえて「過度なリスクテイク」の抑制を念頭に置いた監督・モニタリングを大手邦銀の報酬制度に実施してきたことがある。
その名残は、現在も「主要行等向けの総合的な監督指針」(令和7年4月)の中に存在する。具体的には、Ⅲ-2-3-5(報酬体系の留意点等)の中で「報酬体系が役職員の過度なリスクテイクを引き起こさないよう確保」していく必要性を明記した上で、FSBの指針も踏まえながら監督する旨が記載されている。大手邦銀は、その後も相応のペースで報酬改革を進めてきたものの、従前の経緯や規制上の背景、預金者保護の観点を踏まえると、他業種と比べて「過度なリスクテイクの抑制」をより重視した報酬設計を維持せざるを得なかったものと推察される。
しかしグローバルの動向を俯瞰すると、英国でのボーナス・キャップ規制撤廃をきっかけに英米の銀行等で積極的な報酬改革がごく短期間で進展するなど、想定以上の速さで変化している。大手邦銀は、このことを直視すべき時期にきている。
それと並行して、かつては「過度なリスクテイクの抑制」に着目していた金融行政と対極的な「攻め」のガバナンスを奨励する産業政策の動きも生まれている。経済産業省は、企業の「稼ぐ力」の向上に向けたコーポレート・ガバナンス強化の一環として、中長期的な企業価値向上に資する経営者報酬制度の改革を重視している。
これまでも「コーポレートガバナンス・コード」「コーポレート・ガバナンス・システムに関する実務指針」「『攻めの経営』を促す役員報酬~企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引~」等の改訂を通じて「健全な企業家精神」の発揮を促す業績連動報酬の導入・拡充を推奨してきた。グローバルに事業展開をしている日本の大手企業は、こうした当局の声にも背中を押され、海外からの人材登用も視野に入れた報酬設計の「競争力」に着目し、グローバル水準により近づけるべく改革を進めてきた。
実際、その先進的な大手企業はステークホルダーに開示する報酬ポリシーの中で「地域・出身を問わず優秀な経営人財を確保」すべく、「グローバル市場で競争力のある報酬水準を確保」する旨を示している。そのため、報酬の水準・構成についても「米国・欧州のマーケット水準も参照し多面的に検証」「グローバルとローカルの双方のマーケット水準を考慮」「出身地・居住地のマーケットの水準・慣行を考慮」していること等を明記している事例も散見される。そうした運用の成果の一端が、WTW「日米欧CEO報酬比較」にも表れている。
足元では、一連の報酬改革の傾向や、「金融とテクノロジーとの融合」等のビジネストランスフォーメーションを見据えたスキル人材の多様性も求められている。こうした環境下で、大手邦銀は、他業種のグローバル企業と「業種の壁」を越えた人材獲得競争が繰り広げられることを意識せざるを得ない。
それ故、規制ドリブンに陥ることなく、経営・人材戦略に根差した報酬ポリシーを通じて「適切なリスクテイク」を追求する方針を示し、ステークホルダーの共感を得る必要がある。一方で「過度なリスクテイク」を抑制できているのか、報酬委員会とリスク委員会が連携して実効的にモニタリングするなど、報酬ガバナンスの高度化も求められる。
報酬水準・構成等のベンチマーキングの対象には、米欧等の大手金融各社のみならず他業種のグローバル企業も必要に応じて追加しながら、グループ経営目標達成や国境・業種を越えた優秀な人材獲得・保持が可能な報酬設計を追求していくことが重要になる。こうした姿勢こそ、グローバルを舞台に持続的成長を目指す大手邦銀に求められているのではないか。
(本稿は「週刊金融財政事情2025年7月8日号」掲載された寄稿を転載したものです。)
メガバンクや大手監査法人、大手信託銀行を経てWTW入社。メガバンクや、大手銀行、大手保険をはじめ多数の上場企業に対するコーポレート・ガバナンスの評価・高度化助言に従事。各種セミナー講師、寄稿・共著等も多数。