さもなければ、対応が後手に回り、結果として高いツケを払うことになる。筆者が最近耳にした事例をあげると、「欧州の国で退職給付債務の計上を現地法人が忘れ、翌年の有価証券報告書で訂正記載をするはめになった」、「アジアで長年勤務したローカル役員が退任したが、退任慰労金規程がなかったため、いくら支払うべきかでもめた」、「南米でローカル社員が社有車として高級車を要求してきたが、マーケット・プラクティスがわからないため黙認せざるを得なかった」、「アメリカで企業買収を重ねた結果、401(k) プランのコントロールグループが知らずに形成され、差別禁止テストにパスするために、膨大な追加拠出を求められた」など、様々だ。共通して言えるのは、日本の親会社が現地の制度・慣行を知ってさえいれば、事前に防止できた話しばかり、ということである。
こうした認識を踏まえ、今号では日本企業の進出数が多いタイで、退職給付制度に関する法改正の動きがあることをお伝えしておきたい。タイでは老後の資金準備促進のため、確定拠出年金の導入を企業に義務付ける法案が準備されており、適用は2018年からと予想される。
現在のタイの退職給付制度は、長期勤続者が定年退職等した場合に一時金を支払う退職手当制度(Legal Severance Payment Plan) が存在する。これは強制適用の制度だ。このほか、確定給付年金 (DB)や確定拠出年金 (DC)を企業が任意で提供している。DCはプロビデント・ファンド(Provident Fund)と呼ばれる。導入は任意だが、いざ導入した場合には給与の2%の拠出を労使それぞれが求められる(最大拠出率は労使それぞれ15%)。
これに対して、強制適用される新たなプロビデント・ファンドでは、事業主と従業員の双方が、それぞれ給与の3%を最低拠出するルールになる。拠出率は徐々に引き上げられ、10年目までに10%に達する。掛金算定に用いられる給与には上限があり、具体的には 60,000タイバーツ (約19万円)までの月額給与に対して掛金が算出される予定だ。一方、月額給与が10,000タイバーツ(約3万円)以下の従業員については、事業主拠出のみが求められる。制度の実施主体は政府管轄の組織または民間の運用会社となるはずだが、具体的なことは未定である。
タイ財務省によれば、まず2018年に従業員数100名以上の企業に対して、プロビデント・ファンドの強制加入を実施し、その後7年間かけて段階的に全企業を強制加入の対象とする計画である。プロビデント・ファンドを任意導入していれば、新たに強制適用の制度の導入は求められない見通しだ。ただし、最低拠出率が2%でなく3%に引き上げられる可能性はあるので、これによる財務インパクトの把握は必要である。事業主としては、この機会に現行のプロビデント・ファンドを一度見直してみるのがよいだろう。
タイでは多くの企業が依然としてDBを提供しており、退職給付債務を計上している。賃金上昇や資産運用に伴うリスクも抱え、費用の予測可能性も高くない。一方、プロビデント・ファンドはDCであることから、DBに伴うこうしたリスクがない。強制適用のプロビデント・ファンドの導入で、タイでもDBからDCへの移行の動きに拍車がかかるものと思われる。
強制適用のプロビデント・ファンドについては、現時点で詳細が不明な部分も多い。タイで事業を行っている日本企業は、当法案の動向を引き続きウオッチするとともに、自社の退職給付制度への影響を人事・財務両面から把握する準備をしておくことが肝要だ。更に言えば、グローバル・ベネフィット・ガバナンスの導入をタイから着手してもいいだろう。